経営は実戦活動です

2013年2月21日

経営計画を作る経営者は大勢います。計画書がなければ無能な経営者だといわれそうなくらいです。

最近、計画書などまったく作らない経営者にお会いする機会がありました。その方はまさに思いつくままま、走り回ることで成果を上げています。また地域に密着して仕事を進めようなどという感覚もまったくありません。

自分の感覚の感じるままに行動する方でしたが、お話を聞いていて時間がたつのも忘れるほどに、楽しいものでした。

改めて経営はシンプルなものだと思う時間でした。

 

計画はあくまでも計画にすぎません。どんなに緻密に組み上げられても、それは計画段階のことなのです。

経営は実戦の場で、どれだけ活動したかによって成果が生まれます。活動の量が成果の量になっています。

単純なことなのです。マラソンに例えるなら42キロを走る計画を立てます。これはどれだけでも緻密に計画することができますが、それは計画にすぎません。2時間経っても、5時間経っても、スタート地点からは一歩も前進しません。

しかし、少しずつでも走り出せば、もちろん歩いてでも、やがてゴールが見えてきます。

誰でも分かることです。走った距離だけ前進します。歩いた分だけゴールに近くなります。

経営は実戦の場面で活動した量だけ成果を手にします。とてもシンプルです。

活動の量だけ成果を手にするわけですが、間違った方向に走れば大きなロスを生じます。その量が多ければロスも多いということになります。収支が逆転すれば赤字になりますから、事前に計画が必要になります。

絵に描いた餅という言葉があります。餅を食べたければ実際に餅をつかなければなりません。実戦活動によって初めて食べることができ、満足することができます。

経営計画書を、絵に描いた餅にすぎないと批評する人たちがいますが、それは間違った表現でしょう。

本来、計画は計画にすぎないものなのです。計画は実戦の場で活動して初めて有効になるものだからです。

戦略は活動を伴って初めて成果を生み出します。計画倒れ、戦略倒れになるくらいなら、大まかな方向に向かってでも、走り出すほうがまだましですね。良くても悪くても、その分だけ成果として確認できるからです。

 

理想の講座

2013年2月9日

是永さんとあいさつの達人が主催する講座は、参加者を楽しさの渦に巻き込んでしまいます。 

理論と経験の裏付けを土台に、それを超えたところで話題が展開しますが、その核心部分は、参加者が自由にざっくばらんに話し合えることにあります。 

テーマは誰でもビジネスで取り組む課題なので、適度の緊張と、それを超えた爆笑の連続で時間が経過します。

年齢も経歴も関係なく、ありのままにテーブルに投げ出され、意見のキャッチボールが、参加者それぞれのひらめきになって、自分のものになっていきます。 

毎回、どの参加者が欠けても、この場は成立しなかった、この答えは出なかったと思える、面白さと不思議さがあります。 

何気なく気軽に参加した人達が創り上げるので、毎回が一品生産、究極のオリジナルなのです。 

参加者の個性のままに華を開かせる、極めて高度な装置です。

 

  ・・・・・・・   ところで、理想的な装置がどのようにして出来上がったのでしょうか。

それは是永さんの過去の苦労の結晶なのです。そして挨拶の達人と呼ばれる竹内さんの汗の賜物なのですが、出来上がった装置を目の前にしてみれば、いつの間にか自然に生み出されたもののように思ってしまいます。

この領域に到達するまでに何年かかったでしょうか。そこに積み上げた人生はどのようなものだったでしょうか。

オリジナルの商品は簡単にはできませんが、しかし、必要な時までに必ず出来上がってくるものですね。

報道から

2013年2月2日

スイス在住の資産家夫婦の非業の死と犯人の逮捕が連日報道された。また気功で財をなした女性が巨額の脱税で逮捕された。宗教法人を買い取り、それを抜け道にしたものだった。 

税金に対する認識が間違っているのだ。この資産家夫婦のことは分からないが、海外に居を移したり、宗教法人を買い取るのは日本国に税金を収めないためだ。 

だが多額の税金を払うだけの利益を手にしたのは国内で自由に活動が出来たからではないか。納税があるから社会の整備ができるのだ。教育も自治も国の守りもできるし、その恩恵を受けてこそ経営も社会活動もできるのではないか。 

税金の使われ方には多くの国民が不満を抱いているが、しかし、脱税は間違っている。特に経営者はこの点が重要だ。 

考えてみるとすぐ分かる。社長が会社に行くにも、社員が出勤するにも、お客が来店するにも、社会のインフラを自由に使う事が出来るからだ。もしも、公共のものを一切使わないと、ビジネスはおろか日常生活も難しいのだ。 

守るべきことは守る。それが身を守ることになる。

 

 

さて、どうする

2013年2月1日

私は地元の企業が長く経営を続けるための支援を仕事にしている。

経営コンサルタントは近年、急速に増えてきたから、自分の役割を多くのコンサルタントと分担できるようになった。

私の仕事場があるビルにも大きなコンサルタント会社が入居した。規模も経歴も、そして事業分野も異なっているので競合しない。

その会社との領域を明確にすると自社の対象企業が特定できる。その結果、企業の課題も明確になり、そのためのサービスを創りだすことができる。

 

日本全体では、今年は大きな節目の年になるが、私自身の仕事は今年のためにあるといっても良い。安倍政権になってどのような政策になるかが焦点だが、中小企業の置かれた環境は厳しい状況にあることは同じだ。

 

金融円滑法によって銀行返済の先送りをしてきたが、経営環境が大きく好転することはなかったために、企業の業績が良くなったという事はなく、現状維持を3年間引き延ばした結果になった。この政策で延命した企業は40万社に及ぶ。

 

延命処置であって、改善や改革の取り組みが具体化されたわけではなかった。その責任はどこにあるのだろうか。借り入れをした企業にあるのは誰にでも分かることだ。改革や改善はだれの仕事だろうか。当然、経営者の仕事だ。

 

この法案の意味を単純化すると、魚を与えるのではなく、魚の釣り方を修得させることなのだ。その期間が3年間。その間の資金が貸し出されたのだ。

 

資金があり、返済期限があった。だがその間に修得しなければならない事が不明だった。それは大半が経営者自身にあったのだ。

融資を受けることが目的化してしまった。

 

昔から石の上にも3年というが、3年間が目の前に来た。腹をくくるしかない。